「出会い!」右が井澤義雄氏
出会いが
ターニングポイントを
生みだす
井澤林産株式会社
井澤 義雄
●決められた事業継承
「本当は、教員になりたかったが、祖父が立ちあげた材木店を継がなければならなかった。どうせ継ぐのであれば、儲けて、自分で学校をつくろうと、夢を見た。」バブル景気の頃に、大学を卒業し、大手商社へも就職内定が決まっていた。 しかし、実家では、製材業を継承すべく、卒業後の進路として大手木材市場への就職まで準備されていた。
就職先は、全寮制で厳しい修業時代だったが、三年間務めあげ、若手の育成も行った上で実家の家業を継いだ。
●災難
若い頃は、家業と共にJC活動にも力を入れていた。四〇歳を過ぎて、ターニングポイントが訪れた。会社の社長であった父が、連帯保証に引っ掛かった。さらに、追い打ちをかけるように、工場の火災。会社が傾いた。今まで付き合っていたJCの多くの仲間は去っていった。陰でいろいろ言う人もいた。よからぬ風評もたった。
自分は、今まで続いてきた会社をつぶしたくはない。勤め続けてくれている社員を失いたくはない。家族を守っていかなければならない。改めて、会社をどうしていくか、考えなおした。行動を変えた。
●出会い
火災により工場の規模は小さくなり、今までのように、木材を出荷できなくなったことが、新たな仕事への転機となった。木材を販売する今までの仕事と共に、住宅設備什器の仕入れと販売施工、リフォーム工事業務への拡大を行った。3つの事業を一生懸命に取り組んだ。
一生懸命に取り組んでいる姿を見て、声をかけてくれる人たちと出会った。新たな人との出会いが、ターニングポイントとなった。会社がつぶれると噂される中でも、仕事を懸命に取り組んでいる姿は、伝わるということを実感した。今まで取引がなかったにもかかわらず、事務所や住宅を建設する際に木材、什器、リフォームをあわせて仕事をさせてくれた。この頃起きたのが、東日本大震災。もう、何も怖いものはなかった。
●気づき
仕事の内容を見直し、新たな仕事が軌道に乗り出した。出会いのおかげで、応援してくれるメーカー本社と直接取引することができ、仕事の受注へも有利につながっている。
火災や震災などの災難は大変だった。しかし、今までのように材木を販売しているだけの業務ではなく、身の丈を考え、これから求められる仕事をしていくべきであることを、神様が教えてくれたのではないかと感じている。
●付加価値を高める
これからも木材を販売することと共に、木材製品を自社で加工組立し、販売していこうとしている。
大工場ではできない、付加価値をつけた木材、木材製品を加工、施工できる会社として幅を広げていきたいと考えている。もし、火災や震災がなく、昔のまま木材販売だけだったら、会社が続いていなかったかもしれないとも感じている。
工場の火災により、社員は半分に減った。今でも勤め続けている社員には感謝し、会社として、保険などの加入も積極的に行っている。
「人と人の出会いが、人生の良いターニングポイントを生みだす」という思いを大切に取り組んでいる。