IWAKI FCを応援中の菅波英和氏

 

いわき四季の会 会報「人と仕事と士気と」 
 

誰よりも働け。
そして信頼を勝ち取れ。

 

有限会社カネタ菅波
 
菅波 英和

●お客さんから教わる

 最初、自動車販売の仕事に就いたのは、いい車を安く購入できるから。当時は、コンプレックスを解消するには、いい車に乗ることだと考えていた。仕事は面白かった。営業し、頑張れば、結果として車が売れた。しかも、お客さんの信頼を得られれば、次を紹介してもらえる。仕事の広がりや面白さをお客さんから教わった。
 転職し、仙台で自動車販売している時に知り合ったお客さんから、いわきにハウスメーカーの支店をだすから来ないかと誘われた。自動車の購入は、買主の趣味嗜好が強く、個人的な傾向が強い。しかし、不動産・住宅は、家族が決めるもの。そこに魅力を感じ転職した。
 

●資格が導く

 いわきでハウスメーカーの営業の後、不動産の宅建の資格を取った。しかし、ハウスメーカーがいわきから撤退となり、東日本大震災が起こった。子どもが小さかったので、栃木県へ避難し、再就職先を探した。この時、宅建の資格を持っていたことが、その後を導いているのかもしれなかった。
 資格のおかげで、宇都宮では大きい不動産会社へ就職ができた。震災でなにも持たずに、移住したような状態だったので、とにかくハングリーに働いた。社員約80人、8店舗の会社で、4ヶ月間の働きが認められ、店長になれた。2年間店長を務めた頃、マネージャーにならないかと打診を受けた。
 

●いわきへ

 マネージャーになると、10年はいわきに戻れないと思い、父親に報告した。すると父からは「帰って来い」の一点張りだった。震災前とは比べものにならないほど弱々しく、死期が近いようにも見えた。
 実家は、代々商売の家系だった。父は様々な仕事を通して人脈を広げた。最終的には、田町にビルを建てた。そんな、父の哲学は、「誰よりも働け。そして信頼を勝ち取れ。」だった。
 自分が、実家を継がなければならないと思い、帰郷した。父は、所有しているビルの大家業等をしていた。そのベースと今までの経験から、家業の事業を整理し、不動産業を本格的に始めることにした。
 

●開業

 開業したからには、リスクを取ってでも、ハングリーに取り組まなければ安定はないと考え、攻めた。前職の実績から、大手企業から物件の提供を受けた。前職時代に、WEBによる賃貸物件等の売上が上がってきていることへも注目していたので、早期に自社でも着手した。取り扱う物件を一気に増やせたことで、信頼がつき、知り合いからの依頼も短期間で増やすことができた。


●攻めと安定

 これから、会社を安定させていきたいと考えている。安定とはいっても、誰もやっていないようなことをやって安定していきたい。「攻めないと安定はない。」が仕事の信条である。会社では、働けばお客さんの評価につながることを、社員へ伝え続けている。
 ある時、父が所有しているビルの近くで、「菅波さんのお父さんは、昔から、めちゃくちゃよく働くよね。」と言われたことが今でも頭に焼きついている。自分自身振り返ってみても納得で、菅波家のポリシーは、「死にもの狂いで働く」ことなのかもしれないと感じている。

 
【 有限会社カネタ菅波 】
福島県いわき市平字一町目14
電話.0246‐84‐8585
http://kanetasuganami.co.jp/